入居する子ども達との生活を振り返ってみて考えることの1つに、
子どもとのやり取りでよく起こる「子どものこうして欲しいという思いと、
大人の受け取り方のズレ 」があげられる。
大人(スタッフ)が仕事の様子を尋ねたり、目の前で子ども同士が口論になっている時に、
分かり合えないなぁと・・・お互いにすっきりしないことが起こる。
そういうことがある度に「子ども達は話を聴いてほしいんだな」とか
「大人はどうしても「正解」めいたことを話してしまう」と思い直す。
例えば、こういう時・・・
体調を崩してしまった時に大人は、「休んだ方がいいよ」と声をかける。
大人側からしたら、よかれと思っての発言だけど受け取る子ども側は「仕事があるんだから休めないよ」⇒
大人:「でも身体を壊したら長くも働けないんじゃない?」⇒
子ども:「でも会社の評価もあるし」⇒大人:「そういう時、会社はさぁ・・・」
という具合に平行線になることがある。
また、ある子どもが別の子どもに対してイライラしている場面では、
「イライラのコントロールはいつもどうしてるの?」と大人の方から投げかけてみると、
「なんでオレばっかり気を遣わないといけないの?」と、子どもからは返ってくる。
そして「大人は全くわかってくれない」ということになってしまう。大人の思いとしては、人間関係において上手にやり取りできる人になって欲しいという思いが先立ってしまうからだ。
では、どうしてこんなズレが起きてしまうのか?
その1つには、大人側の「焦り」に原因があるような気がする。
自立援助ホームでは、義務教育終了後の15歳~20歳を迎えるまでの子ども達が、経済的な自立を目指して暮らしている。つまり、期限付きである。その期限付きであることも影響して、大人(スタッフ)は自分が経験してきたことや知っていることを土台に考えるクセがついてしまう。失敗をしないための防衛である。
そのため、ついつい転ばぬ先の杖がでてしまう。
目の前の子どもの現在の行動から、次の結果やその先のことを予見して「出来るだけ早い段階でのいい結果」を求めてしまいがちになる。そこには「あと数年後には、みんなのいえを巣立って、自活しなければならないのに・・・」ということが頭をよぎるためだ。なんとかしなければという責任感や使命感と、「一人前」になって欲しいという期待の表れだど・・・
でも、その時に抜け落ちてしまうのは、その瞬間の子どもの気持ちや考えなのだ。
もっと大人が落ち着いてゆっくり構えていられればいいはずなのに、なかなかそれが難しい。
大人側からの「期待」と子どもの「受け止めてほしい気持ち」というのは、そもそも、行き違いが生まれやすいものだと思う。
子どもの行動のひとつひとつに込められている言葉にならない気持ちを含めて、
本当は丁寧に、時間をかけて解読し合わなければならないのだろうなと思う。
そのためには、大人が気にしている「結果」や「正解」といったいわゆる「正しさ」に囚われ過ぎないこと、
つまりは、日々の子どもとの小さなやり取りや積み重ねが、こうしたズレを少なくしていくのだなぁと思う。