雪降る晩に

みんなのいえに暮らす、子どもたちは、働いて収入を得ながら将来の貯蓄や夢を探求しています。子どもの中には、コミュニケーションが苦手な子どももいます。コミュニケーションが苦手な子にとって、仕事で同僚と会話をすること自体が最初の壁となります。自分の名前を呼ばれると、何か悪いことをしたのではないか?怒られるのではないか?自分は上手く仕事が出来ているのか?等々、気がつけば、仕事への自信をなくし、身体を起こすことが億劫になり、遅刻、無断欠勤、そして解雇・・・仕事で自信をなくすと同時に、自尊人も低くなり自分を認められず、人に当たり、周囲との関係も悪化・・・。そのうちに子どもは外に出ることが減り、陽が明るいうちは自室にこもり、深夜、みんなが寝静まるとリビングに出てきて食事を摂る・・・少し元気が溜まると外に出て仕事をみつけますが長続きせず、また仕事を辞めて部屋にこもる・・・。こんな生活が1年程、つづいたら、みなさんはどうしますか?きっと、自分の子どもなら世間の目が気になり、焦り、何とか外に出てくるようにと厳しい言葉をかけてしまうこともあるのではないでしょうか?そんな繰り返しの毎日で、自分自身も悩み、疲れ果て自暴自棄になってしまうかもしれません。私たちスタッフも、その子と関わる中で、悩み、傷つき、疲れる経験をしながら、あることに気がついたのです。それは、私たちの価値観や世間体を気にするような発言は、子どもをより追い込み、より心を閉ざしてしまうということ。「こうあるべきだ」という社会通念や価値観は、単なる押し付けになってしまうということだったのです。この子どもと関わった1年は、私たちスタッフに、子ども一人一人の機に応じ、根に応じながら関わることの大切さを改めて気づかされる時間となりました。先日の雪ふる晩、その子どもが深夜1人で雪遊びに興じ、雪だるまをつくったようです。雪だるまを作った翌日、朝からリビングに姿をみせて、「あれっ!?この雪だるま誰がつくったの?大きいね!すごいじゃん!」といたずら顔で、話題を振ってくる子どもの様子は、1年前とは違い、子ども自身が人と話をすることを求め、甘えようとしている瞬間でした。こんな何気ない会話や場面の積み重ねが、子ども一人一人にとって大切な時間であり、大人を、人を信じるきっかけになっているのかもしれません。